神田川に架かる140の橋 聖橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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132-聖橋(ひじりばし)

撮影 04/07 13:29   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の132番目は聖橋です。

聖橋の外観
聖橋の外観
高くて大きい橋。


聖橋(ひじりばし)は本郷通りを渡す橋である。

震災復興橋のひとつとして昭和3年に架橋された白いアーチ形のこの橋の名前は、一般公募によるもので、北側の湯島聖堂(ゆしませいどう)と南側のニコライ堂という二つの聖堂を結ぶことにちなむという。

湯島聖堂の前身は、江戸幕府の儒学者、林羅山(はやしらざん)が上野忍ヶ丘(うえのしのぶがおか)に建てた孔子廟(こうしびょう)である。

元禄3(1690)年、生類哀れみの令で有名な五代将軍徳川綱吉の命により、湯島の地に移されて、名称も「聖堂」と改められたということである。 幕府直営の学問所として、全国の旗本、藩士の指定を集めて発展し、寛政9(1797)年に松平定信(まつだいらさだのぶ)による寛政異学の禁(かんせいいがくのきん)によって朱子学以外が禁止されると、増築され、名称を昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんしょ)と改めた。

学問所は明治時代に昌平学校(しょうへいがっこう)となり、明治10年の東京大学設立の母体の一つとなっている。

一方のニコライ堂は、正式名称を日本ハリストス正教会教団復活大聖堂といい、明治17年から24年までの足掛け7年で完成した日本最古のビザンチン様式の建築である。

ビザンチン様式は東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の時代に発生した建築様式で、モザイクや小さな窓に特徴のある教会建築である。

後にギリシア正教会の教会建築などに使われるようになったもので、その流れでここニコライ堂はビザンチン様式で建てられることになったのだろう。

文久元年(1861年)から在日ロシア帝国領事館付き司祭として布教活動をした大主教カサーツキン・ニコライが依頼し、鹿鳴館の設計で有名なジョサイア・コンドルが設計監督を務めた名建築である。

聖橋は二つの聖堂を結ぶ聖なる橋なのである。

聖橋の由来
聖橋の由来
72万4807円で2年8ヶ月かけ昭和2年7月完成、と書いてあります。


聖橋の橋名
聖橋の橋名


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