神田川に架かる140の橋 昌平橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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133-昌平橋(しょうへいばし)

撮影 04/07 13:44   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の133番目は昌平橋です。

昌平橋の外観
昌平橋の外観


昌平橋は、架橋年は明確ではないが、室町時代にはすでに「芋洗い橋(いもあらいばし)」の名前の橋が架かっていた位置にある橋である。

江戸時代初期には「一口橋(いもあらいばし)」と書かれた時期があり、これは当時、大阪から「一口神社(いもあらいじんじゃ)」を駿河台に移したことに由来するらしい。

「一口稲荷」は「天然痘」にご利益があるという稲荷で、「天然痘」のことを「へも」とも言ったらしいから、「いもあらい」とは「へもをあらう」ということなのだろう。

「昌平橋」という名前になったのは、江戸時代の五代将軍徳川綱吉の命名による。

綱吉は儒教を唱えた孔子を祀る霊廟として、湯島に「聖堂」を創建したが、儒教教育の学校を孔子の生地であった「昌平郷(しょうへいきょう)」に因んで「昌平坂学問所」としたことから、「一口橋」を「昌平橋」に改めたのだという。

明治時代には徳川色を排除するためか、神田川沿いの「相生坂(あいおいざか)」にちなんで、「相生橋(あいおいばし)」と改められた。 「相生坂」の名は、神田川対岸にある「淡路坂(あわじざか)」に相対した坂であることによる命名とされる。

明治6年8月の洪水でこの端は流れてしまったが、明治32年に現在の位置に橋が架けられ、橋の名前も「昌平橋」に戻された。

「相生橋」を登ると「湯島聖堂」、その北側には「神田明神」と名所も多く、そばの老舗の「神田やぶ蕎麦」も橋の南側にある。蕎麦の老舗としては「砂場(すなば)」「更級(さらしな)」と、この「藪(やぶ)」が有名であり、創業の時期は不明であるが1750年ごろには長く営業してきた蕎麦屋として知られていたそうである。

ここの蕎麦のつゆは辛味で、江戸っ子が「つゆを少しだけつけて食べる」というのはこれに由来するという説もある。

現在の橋は大正12(1923)年の関東大震災の直前に完成したものが、昭和になって修復工事を受けたものである。

昌平橋の親柱
昌平橋の親柱


昌平橋の由来
昌平橋の由来
一口橋(いもあらいばし)、
芋洗い橋(いもあらいばし)、
相生橋(あいおいばし)」
と呼ばれていたと書いてあります。


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