神田川に架かる140の橋 宮下橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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010-宮下橋(みやしたばし)

撮影 03/24 12:28   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の10番目は宮下橋です。

宮下橋の外観
宮は神社の事で、宮の下にある橋だから宮下橋。
古くからの鎮守であるこの霊験(れいけん)あらたかな宮の下にあるので「宮下橋」という名前になったのでしょう。


宮下橋は久我山村(くがやまむら)の古来からの鎮守である「久我山稲荷神社(くがやまいなりじんじゃ)」の近くにあることからこの名前になったと想像しています。

神社の資料では、創建の由来は定かではないとされていますが、「保食命(うけもちのみこと)」を祭神としています。

この保食命は、その名前の通り、食べ物、特に稲をつかさどる神様で、全国の稲荷神社にはこの神様が多く祀られているということです。

明治40年に字北原にあった天祖神社(てんそじんじゃ)を合祀して、天祖神社の祭神である「大日霊貴神(おおひるめむちのみこと)」も祀るようになったとのことです。

「大日霊貴神」とは「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の別名とも言われ、東北地方を中心として「大日霊貴神」の名前が使われることが多いということです。

ここでは毎年、夏に行われた湯の花神楽という湯立行事が有名で、湯立行事は大きな釜に湯を沸かして、そのしずくを笹の葉で救って全身に浴びせながら健康を祈願するというものです。

宮下橋の親柱
"みやしたはし"と書かれています。でも"みやしたばし"と発音したいです。


昔この地方で蔓延した疫病が、村人の神楽の奉納で治まったという故事からこの神事が行われるようになったといわれています。

橋から北に入った高台の斜面になるほどこの神社の鳥居が見て取れます。

橋近くの遊歩道にはめ込まれたイラストタイルにはセキレイの姿が描かれています。朝にはこの神社の境内でセキレイの姿が楽しめるのでしょうね。昔ながらの鎮守の社の佇まいが感じられます。

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