スポンサードリンク
和泉橋(いずみばし)
神田川に架かる140の橋の50番目は和泉橋です。
和泉橋の外観
この和泉橋は河口に近い下流部にある136-和泉橋と同名の和泉橋。
136-和泉橋の橋の由来が和泉守(いずみのかみ)であるのに対して、こちらの橋の由来となったのは、正真正銘の泉(いずみ)の様です。
同じ名前でもそれぞれに歴史があるのが面白いですね。
この50番目の和泉橋がある現在の和泉一~四丁目は、江戸時代から明治22年まで存在した和泉村(いずみむら)と和田村(わだむら)の一部、そして永福寺村(えいふくじむら)の一部を併せたもので、室町時代の文献にも泉村(いずみむら)として登場する古い地名です。
泉の由来は、近くにある貴船神社(きふねじんじゃ)の湧き水にあると言われています。
貴船神社は048-番屋橋の西側を上がる坂(番屋坂)に続く道の南側にあります。
現在の社殿は昭和36年造営のこじんまりした神社ですが、歴史は古く文永年間(1264~75)の創建とされ、境内南側に湧き水がたまったような小さな池があります。
昭和40年頃まできれいな水が沸いていたといわれており、和泉あるいは泉の地名発祥もこの池によるものです。
ちなみに全国の貴船神社の総本社は京都市左京区にある貴船神社です。
貴船神社は「たかおかみのかみ」という神様を祭っており、古くから雨乞いの神様として信仰されていて、古来、晴れを願うときには白馬が、雨を願うときには黒馬が奉納されたが、実際の馬に代わって木の板に描いた馬が奉納されるようになり、このことから絵馬が発達したとも言われています。
雨乞いの神様に、水の涸れることがない泉は良く似合う。
和泉橋の親柱
不明橋の外観
和泉橋と弁天橋の間に名前のない不明な橋があります。なんでしょうかね?
不明橋のたもと
たもとを見ても名前がありません!
スポンサードリンク