神田川に架かる140の橋 八幡橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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032-八幡橋(はちまんばし)

撮影 03/24 13:52   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の32番目は八幡橋です。

八幡橋の外観
八幡橋の外観


八幡橋近くの神田川では、川底に30センチほどの段差が設けられており、せせらぎの心地よい音が聞こえます。

「八幡」の名前は、すぐ南側にある「下高井戸八幡神社(しもたかいどはちまんじんじゃ)」に由来するものです。

「下高井戸八幡神社」は甲州街道の「下高井戸宿(しもたかいどのしゅく)」の鎮守とされ、長禄元年(1457年)に、「太田道灌(おおたどうかん)」が江戸城築城の際に家臣の「柏木左衛門(かしわぎさえもん)」に命じて「鎌倉八幡宮」を勧請したもの。

このためこの神社は「柏木ノ宮」という名前でも呼ばれ、「柏ノ宮」の字もこの辺りにはあったといいます。

さて「八幡様(はちまんさま)」は古来武人に人気のある神様である。戦の前に勝利を祈願した戦国大名も多いが、「八幡大菩薩」とは一体どのようなものなのでしょうか?

全国にある八幡神社の総本社は、大分県宇佐市(うさし)の「宇佐神社」、別名「宇和八幡宮(うさはちまんぐう)」で、もともと宇佐神社は地方の有力者であった大神氏の氏神であったそうです。

祭神は「応神天皇(おうじんてんのう)」であることから、皇室の祖神ともされて、皇室から分かれた源氏も八幡神を氏神としたらしいです。

「源義家(みなもとのよしいえ)」は「石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)」で元服したことから、「八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)」と呼ばれるようになったといわれます。

「源頼朝(みなもとのよりとも)」が鎌倉に幕府を開くと、八幡神を鎌倉に向かえて「鎌倉八幡宮」、別名「鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)」として、御家人達も武家の守護神として自分の領内に勧請したという事です。

「太田道灌」は、武蔵野国の守護代(しゅごだい)で、家系は清和源氏の一家系である摂津源氏の流れを汲むというから、武家の守護神として「鎌倉八幡宮」を勧請したも不思議ではなですね。

せせらぎの音、鎮守の社、懐かしい風景がここにはあります。

八幡橋の親柱
八幡橋の親柱
せせらぎの音、聞こえますか?


八幡橋近くの標識
八幡橋近くの標識
みなもと(井の頭池)まで5.5キロ、
すみだがわまで19.0キロの地点です。


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