神田川に架かる140の橋 美倉橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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137-美倉橋 (みくらばし)

撮影 04/07 14:18   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の137番目は美倉橋です。

美倉橋の外観
美倉橋の外観


清洲橋通り(きよすばしどおり)を渡す美倉橋は「日本橋北内神田領国浜町明細図」の中では「新シ橋」(あたらしばし)という名で記載されている橋である。

架橋された年代は定かではないものの天和3(1683)年の火災で火災で架け替えされたとう記録があり、江戸時代には柳原新し橋と呼ばれていたらしいから遅くとも天和年間以前に初架橋された橋であることは間違いない。

神田駅の東方に現在も神田美倉町の町名があるが、この町がこの橋の営繕を行っていたということである。

現在の橋は昭和四年架橋のもので、広いテーブルのような形の親柱が特徴となっているが、明治31年の浅草橋改架の際に浅草橋の旧鉄橋がここに移されて再利用された時には黒くペンキで塗られた独特の存在感のある橋であったようである。

南詰西側の公衆トイレが、三つの蔵を模した建て方になっており、橋の名前の由来を今に伝えている。

近くの佐久間公園は、実は、万世橋署の警察官たちが「ラジオ体操の会」を始めた場所で、ラジオ体操が普及するきっかけとなった公園である。

この地区は舟による流通取引が発達した町人の町で、神田川に沿って江戸時代には神田相佐柄木町蔵地、本銀町会所屋敷蔵地、神田紺屋町二丁目横町蔵地の三つの蔵地があり「三倉地」と呼ばれていたのを、明治時代になってから「三」を「美」とかえた「神田美倉町」という町名にしたことがこの橋名の由来である。

美倉橋の親柱
美倉橋の親柱


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