神田川に架かる140の橋 上水橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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054-上水橋(じょうすいばし)

撮影 03/24 15:25   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の54番目は上水橋です。

上水橋の外観
上水橋の外観


上水橋は「神田上水」にかけられた橋ということだろうか?

地下鉄「丸の内線」の支線の終点である「方南町(ほうなんちょう)」駅から続く商店街の延長線上にこの橋はかかる。

橋の北には「釜寺(かまでら)」の通称で知られる「東運寺(とううんじ)」がある。天正元年(1573)年に「一安上人」によって開かれた念仏堂であり、大正11年に台東区「入谷(いりや)」の「東運寺」を合併して「念仏山(ねんぶつざん)東運寺」となった。

ここの山門は、元禄年間(1688〜1704)の頃に現在の港区新橋になった陸奥一関藩(いちのせきはん)主「田村右京太夫(たむらうきょうだゆう)」屋敷の脇門だったそうである。

田村屋敷は、播州赤穂(ばんしゅうあこう)藩主であった「浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)」が江戸城「松の廊下」で刃傷沙汰を起こした後に、預けられ切腹をさせられたところである。

門はその後、三井総本家のものとなり、昭和30年に内匠頭の供養のためにここに移されたのだという。

「釜寺」の通称の元になった釜は、本堂の屋根の上にある。

「山椒大夫(さんしょうだゆう)」に売られた「厨子王(ずしおう」と「安寿姫(あんじゅ)」が日夜、野良仕事に追い立てられ、ある日厨子王が見せしめに大釜の煮え湯に放り込まれたが、坊主に姿を変えた地蔵尊が助けたという伝説にまつわるもので、本堂には「身代わり地蔵尊」が安置されるようになったということである。

様々な歴史と伝説が残る地ではある。

上水橋の親柱
上水橋の親柱


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