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宮田橋(みやたばし)
神田川に架かる140の橋の98番目は宮田橋です。
宮田橋の外観
この橋の南側には、かつては、現在高田馬場一丁目にある諏訪神社の旧地であったことにちなむ「宮田(みやた)」の字名があった。
諏訪神社は、信州諏訪の神を勧請(かんじょう/神仏の来臨や神託を祈り願うこと。また、高僧などを懇請して迎えること。神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること。)した神社で、弘仁年間(810~24)年の創建であり、武神として源頼義(みなもとのよりよし)、源頼朝(みなもとのよりとも)、太田道灌(おおたどうかん)らが崇敬(すうはい)したといわれている。
橋から北に進み、新目白通り向かい側に氷川(ひかわ)神社がある。108-面影橋(おもかげばし)にも氷川神社はあるが、面影橋の氷川神社はスサノオノミコトを祀る男体の宮であり、高田氷川神社とも呼ばれるが、ここ下落合の氷川神社は、その妻である稲田姫命(いなだひめのみこと)を祀る女体の宮といわれており、この二つの神社をあわせて「夫婦の宮(めおとのみや)」と称していたということである。
氷川神社の裏から「おとめ山」の高台に上がる七曲坂(ななまがりざか)は、房総から武蔵国に入った源頼朝によって開かれた伝えられる坂で、江戸時代には周囲の高台が紅葉の名所として知られていたという。
七曲坂の西、区立野鳥の森公園の先には、起伏を利用した美しい庭園に丹念に栽培された各種のボタンが有名な薬王院(瑠璃山薬王院医王寺、通称「ボタン寺」)がある。
この「ボタン寺」は、五月初旬のボタン開花の時期には沢山の見物客で賑わいを見せいます。
宮田橋の親柱
橋名札がちょっと傷んで寂しい感じがあります・・・・・
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