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相生橋(あいおいばし)
神田川に架かる140の橋の80番目は相生橋です。
相生橋の外観
相生橋の橋の名前の由来は、橋の西側、現在の中野区本町一丁目にあった相生町の旧町名からかと思ったが、どうやら橋が架けられた時代の方が古いらしい。
「相生(あいおい)」は「相生の松(あいおいのまつ 同じ根から赤松と黒松が同時に生える松のことで、そこから転じて夫婦仲が良いことのたとえとなる」という言葉に使われるとおり、二つのものが仲良く並ぶ意味がある言葉のようである。
全国の地名でも、坂が二つ並行するようなところに「相生坂」という地名が使われている。旧町名以前から相生だとすれば、何が仲良く並んでいたのだろうか?
この橋から少し上流に進むと、左手の護岸に大きなトンネルの出口があり、これがかつての「幡ヶ谷支流(はたがやしりゅう)」との合流点だそうだ。
暗渠となった流路跡が現在は小さな児童公園となって南の方に続いている。
幡ヶ谷支流が暗渠となったのは昭和39年のことだそうだが、この支流の水源のひとつに「源義家(みなものとのよしいえ)」の伝説にまつわる「旗洗い池(はたあらいいけ)」がある。後三年の役(1083から87)の後、義家が旗を洗ったと伝えられる池で、江戸時代には肥前唐津藩小笠原家の邸内となり、この池から流れ出た支流が幡ヶ谷支流という訳である。
池は昭和38年に埋め立てられ、跡地には東郷平八郎(とうごうへいはちろう)揮毫による記念碑が建っている。
この幡ヶ谷支流と神田川が仲良く並んでいるという意味でつけられた名前なのだろうか?
研究のしがいがあるテーマではある。
相生橋の親柱
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