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豊橋(ゆたかばし)
神田川に架かる140の橋の111番目は豊橋です。
豊橋の外観
さくらも散って橋も何とか撮影出来ました。
豊橋から真っ直ぐ北に向かう商店街の左右には昔ながらの看板建築も見られ、時代が感じられる場所ではある。
商店街の少し先に「豊川稲荷(とよかわいなり)」の祠(ほこら)があり、「豊橋」の名前の由来になったようである。
「稲荷」は商売繁盛の神様であるから、商店街が発達するのも頷ける。
「豊川稲荷」は愛知県豊川市豊川町にある「曹洞宗(そうとうしゅう)」の寺院で、正式名称は「妙厳寺(みょうげんじ)」である。
「伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)」、「祐徳稲荷神社(ゆうとくいなりじんじゃ)もしくは「笠間稲荷神社(かさまいなりじんじゃ)」と並んで日本三大稲荷の一つとされる。
全国に別院を持ち、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の他、大岡裁きで有名な「大岡忠相(おおおかただすけ)」からも信仰を受けていたという。
全国の稲荷神社は京都の「伏見稲荷大社」を総本山としているが、「豊川稲荷」は神社ではなく寺院であるから、別格本山とされるらしい。
ここから目白台の高台にかけては、かつては「高田豊川町(たかだとよかわちょう)」の旧町名があったらしく、「豊川稲荷」からやや西の日本女子大学に上る急坂は「豊坂(ゆたかざか)」であり、「豊橋」と同じ名前の由来であると考えられる。
橋の南側にある新目白通りの交差点右手に「都電荒川線早稲田電停(でんてい)」がある。
「都電荒川線」はもともとは、明治44年に「王子電気軌道」の「大塚」・「飛鳥山(あすかやま)」間であり、そこから徐々に路線を広げていったが、都内の交通の便が良くなり、自動車などの代替交通手段も発達したことから、現在の荒川線の区間のみが廃止されずに残ったというわけである。
「都電荒川線」は現在も住民の足として活躍している。
豊橋の親柱
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