東京・神田川 橋の写真集



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永福橋(えいふくばし)

撮影 03/24 14:28  -BACK-   -NEXT-

 

神田川に架かる140の橋の39番目は永福橋です。

 

永福橋(えいふくばし)

永福橋の外観

 

永福橋は京王井の頭線の永福町駅から南に下ったところにあります。

 

橋から北へと坂を上ると、右手に萬歳山永福寺(まんざいさんえいふくじ)と刻まれた石柱があり、そこから右に入ると名前の由来となった寺があります。

 

創建は大永2(1522)年とされ、天正18(1590)年の小田原城(おだわら)陥落の後に小田原城主であった北条家(鎌倉時代執権を勤めた北条氏とは別系統のため後北条という場合もある)の家臣がこの寺の住職を頼りに訪問し、後この辺りの開発に従事したと言われています。

 

西側には永福稲荷神社がありますが、江戸時代には永福寺の境内にあったとも事です。

 

古来日本では、神仏習合(しんぶつしゅうごう)の伝統があり、神社の中に寺があったり、寺の中に社があったりしましたが、明治時代の神仏分離令で神仏習合が禁止されたことから分離したところも多いと聞きます。

 

永福寺から南にある坂を上ると江戸時代の寺社地であり、寛永元年(1624)に四谷で創建された永昌寺(えいしょうじ)を始めとして法照寺(ほうしょうじ)、浄見寺(じょうけんじ)、託法寺(たくほうじ)など歴史の古い寺がひしめき合っています。

 

江戸時代には武士が住む武家地、寺社が並ぶ寺社地など居住地が身分毎に指定されていたようですね。

 

寺町の一番奥の真教寺(しんきょうじ)は文禄3(1594)年に麻布に創建された古刹(こさつ/由緒ある古い寺。古寺。)でありますが、親鸞聖人(しんらんしょうにん)80歳のときに自作したと言われている親鸞坐像など重要な文化財が収められています。

 

 

 

 

永福橋(えいふくばし)

永福橋の親柱

 

 

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