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桔梗橋(ききょうばし)
神田川に架かる140の橋の75番目は桔梗橋です。
桔梗橋の外観
桔梗は秋の七草の一つ。
万葉集時代には「あさがお」と呼ばれていた植物だ。
主に低山地に自生するというが、東京近郊で自生している姿を筆者はまだ目にしたことがない。
昔から武士好まれたようであり、家紋でも桔梗紋(ききょうもん)というものが存在する。
例えば三日天下で有名な明智光秀(あけちみつひで)の家紋は「丸に桔梗」である。
江戸城(現在の皇居)にも「ききょうの間」や「桔梗門」の名前がある。
このように武士に愛されてきた植物であるが、千葉県の一部には桔梗を忌み嫌う地域があるということを最近耳にした。
935年に起こった「承平(しょうへい)の乱」の首謀者、平将門(たいらのまさかど)は全身鋼(はがね)の鎧(よろい)に身を包んでいたが、ただ一箇所耳の後ろの部分だけが鋼に覆われていなかった。
このことを外部に漏らしたのは将門が寵愛(ちょうあい)していた女性である「桔梗前(ききょうのまえ)」であったという。
この情報漏洩が将門敗北の原因になったという伝説があり、将門ゆかりの地域では桔梗を古来忌み嫌ったというこである。
関東の守護神として将門は祀られているので、神田川流域に将門ゆかりの神社等が点在するのは良く理解できる。
まさかこの桔梗橋の名前がこれに関係している訳ではないだろう。
数ある植物の中でなぜ桔梗の名前を選んだのか?
謎は残るところである。
桔梗橋の親柱
桔梗橋近くの地中埋込標識
桔梗橋近くの地中埋込標識2
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