神田川に架かる140の橋 駒塚橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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112-駒塚橋(こまつかばし)

撮影 04/07 10:29   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の112番目は駒塚橋です。

駒塚橋の外観
駒塚橋の外観


駒塚橋は、昔は駒留橋(こまどめばし)とも呼ばれ、名前の由来は、この周辺がかつては砂利採集の盛んな場所で、近くに馬(駒)を繋ぐ者が多かったことから来たという説の他、将軍が鷹狩に訪れる際に、この橋に馬(駒)を繋いで休息したことにちなむという説もある。

橋から北、目白台への急斜面を登るのは、胸突坂(むなつきざか)である。

先の左には松尾芭蕉ゆかりの関口芭蕉庵(せきぐちばしょうあん)がある。

芭蕉庵といえば深川(ふかがわ)が有名であるが、ここは芭蕉が深川に移る前の延宝五年(1677)から八年(1680)までの四年間の期間を過ごした場所であり、俳人として世に知られる前、伊勢国(現在の三重県)津城主藤堂家(つじょうしゅとうどうけ)に仕えて、神田上水改修工事に関わった際に起居したところと伝えられている。

当時は安楽寺という寺院であったといわれ、後に龍隠庵(りゅうげあん)と称し、後年になって芭蕉を慕う者によって関口芭蕉庵とよばれるようになったらしい。

関口芭蕉庵から胸突坂をはさんで、向かいの急斜面に建つ祠は、神田上水の守護神といわれる水神社である。

神田上水、とりわけ大洗堰の守護神として祀られたこの神社には、神田上水の恩恵を受けた神田、日本橋方面からの参詣者が多く訪れたという。

胸突坂を上ると、石段の途切れた先に永青文庫がある。江戸時代胸突坂西側一帯は、肥後熊本藩(ひごくまもとはん)細川家の下屋敷(しもやしき)であり、ここに細川家伝来の美術品などが管理、公開されている。

駒塚橋の親柱
駒塚橋の親柱


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