神田川に架かる140の橋 佃橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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022-佃橋(つくだばし)

撮影 03/24 13:09   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の22番目は佃橋です。

佃橋の外観
佃橋の外観。
左は京王井の頭線高井戸駅です。


佃橋はこの橋の辺りの古い地名に由来する命名と思われます。

「佃(つくだ)」とは、中世日本の荘園制度において、荘園領主(荘園の所有者)や荘官・地頭(荘園の管理人)らによる直営田のことで、年貢や公事の賦課が免除され、その代わりに収穫物のすべてを領主に収めるものです。

「本家(ほんけ 摂政や関白を務める上流公家が荘園の名目上の所有者となって本当の所有者が税金の免除を受けた場合に、その名目上の所有者を本家という)などの上級領主による直営田を「佃」として、荘官・地頭などの下級領主によるものを「正作・用作」と区別することもあるが、中世当時は必ずしも明確に区別されていたわけではないらしいです。

佃橋の親柱
佃橋の親柱。
石が割れ、テープや張り紙と思しき後が残り、やや侘しい感じです。


経営の形態は、領主が荘園・「国衙領(こくがりょう 中央政府の役所の支配地)」内の百姓を夫役(ぶえき 労役義務のこと)と称して徴発し、食糧や農具・種子を給付して農地を耕作させるというものであり、新しく開墾した者には当該地の収穫を全て獲得する権利が認められることが多かったから、これによって領主は所領の一部に全収穫を自分のものに出来る「佃」を形成したのです。

この意味の「佃」がこの橋の名前の由来だとすると、この界隈の田地の開墾を進めた荘園領主が居たはず。

ちなみに「正作・用作」は「正用(しょうよう)」という地名を想起させるが、024-正用下橋のところで説明している「正用」の地名も、「佃」と同じ由来を持つものかも知れません。

024-正用下橋がこの橋から遠くないところにあることから見ても、この考えはかなり有力なのかなと思っています。

かつての神田川流域は水田に恵まれていたという記録があり、その水田も誰かが開いたはずのものですから、「佃」を経営した荘園領主が居てもおかしくないのではないでしょうか。

そもそも開発領主としての中野長者の伝説がある橋も神田川には存在します。

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