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船河原橋(ふなかわらばし)
神田川に架かる140の橋の127番目は船河原橋です。
船河原橋の外観
下が船河原橋、 上は歩道です。
「船河原橋(ふなかわらばし)」は、「外堀通り(そとぼりどおり)」が神田川を渡る橋である。
架橋年代は定かではないが、仙台堀(せんだいぼり)が開かれて間もないころであろうと言われている。
神田川が開削されて隅田川と結合すると、二つの川は江戸の物資運送の動脈となった。
神田川に沿って運ばれてきた物資は、飯田橋付近で江戸城と反対側である北側に陸揚げされ、船着場には船荷を扱う河岸が多い。
船河原橋から水道橋付近の地域は、当時小石川(こいしかわ)に住んでいた岩瀬市兵衛(いわせいちべい)という人の名前に地なんで「市兵衛河岸(いちべいかし)」と呼ばれていたらしい。
現在も「新宿区揚場町」という町名が残っているが、船着場で船荷が陸揚げされていたことの名残であろう。
当時、深瀬に落ちる水の音から「ドンド橋」とも「ドンドン橋」とも呼ばれていたこの橋と、その上流の大洗堰との間には有名な紫鯉(紫がかった黒い鯉)が放流されて、禁猟区となっていたことから、「おとめ(お留め)橋」とも呼ばれていたそうである。
何でもこの紫鯉はたいそうな美味で、将軍の食膳にだけ供されるものであったそうである。
「ドンド橋」のすぐ下は江戸川の落ち口で深瀬となっており、ここに落ちた魚は捕獲することが許されていたので、数多くの釣り人で賑わった場所だそうである。
船河原橋近くの分水路
この分水路は、 124-白鳥橋にある 水道橋分水路の吐口(出口)となります。
船河原橋の親柱
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