神田川に架かる140の橋 伏見橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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084-伏見橋(ふしみばし)

撮影 03/31 13:12   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の84番目は伏見橋です。

伏見橋の外観
伏見橋の外観
この辺りから桜が満開で、
綺麗なんですが、撮影に支障を生じさせました。
桜さんごめんなさい。


住宅街の裏道にある橋であるが、何故か歩道に突き出している「魚の頭」とおぼしき彫刻が目を引く橋である。

名前の由来は、明治時代の後半、この付近に14世紀から550年続き、戦後廃止された皇族「伏見宮家」の広大な別邸(高歩院)が存在したことからくるようである。

当初は、千代田区紀尾井町にある現在のホテルニューオータニ敷地にあったものが明治30年代にこの付近に移転した。

この伏見宮邸は、明治天皇の侍従を勤めた山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)が明治期まで住居としていたところであるが、その前にも麹町の豪商加太氏の別邸「成趣園(じょうじゅえん)」が設けられていたということである。

神田川と並行した細い用水堀が、この橋の東側を南北に通りぬけているが、この付近に新堀の字(あざ)があったのは、この用水堀にちなむということである。

伏見宮家は、南北朝時代の北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁(よしひと)親王を始祖とし、菊の花を裏から見た様子を描いた裏菊(うらぎく)を紋章とする名門宮家で、明治維新後に創設された宮家である、

などは皆、伏見宮から派生した皇族である。

昭和22年臣籍降下により、皇室から離脱し、伏見氏を名乗った。

このような宮家を旧皇族と呼んでいる。

こうしてみると伏見橋の界隈は、なんとなく落ち着いた品格のある町並みに見えてくる。

伏見橋の親柱
伏見橋の親柱


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