神田川に架かる140の橋 神泉橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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044-神泉橋(しんせんはし)

撮影 03/24 14:49   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の44番目は神泉橋です。

神泉橋の外観
神泉橋の外観
太い水道管


神泉橋は井の頭通り(いのがしらどおり)を渡す橋です。

下流部分に太い水道管が並行していますが、井の頭通りの通称を水道道路と言うらしいですね。

ここには武蔵野市の境浄水所から世田谷区の和田堀給水所に通じる送水管が通っています。

神泉橋は江戸時代の上水路と近代水道が交差する「泉」の名を持つ橋の界隈にふさわしい場所と言えますね。

ところで橋の名前は、渋谷区神泉町(しんせんちょう)に由来する名前なんでしょうか?

いわくありげな名前ですね。

調べてみると、江戸中期に書かれた地誌である「江戸砂子(えどすなご)」の中の一節に次のような文がありました。

「此処(ここ)に湧泉あり、昔空鉢仙人(からはちせんにん)此谷にて不老不死の薬を練りたる霊泉なる故 斯く名付けしという」

空鉢仙人とはインドから渡ってきた仙人のようであり、伝えるところによれば鉢を宙に飛ばす「空鉢の法(からばちのほう)」という神通力で人々を救ったということです。

またこの仙人は実は弘法大師(こうぼうだいし)であるいう伝説もああります。

ちなみに「江戸砂子」は江戸時代に最も人気のあった江戸の地理に関する書物で、その人気から「続江戸砂子(ぞくえどすなご)」等が書かれるほどの人気だったんです。

江戸時代から明治初期にかけて、この霊泉が村民の共同浴場となって、弘法湯(こうぼうのゆ)と呼ばれて愛され、いつしかこの界隈、近隣の円山町(まるやまちょう)にまで料理屋や花街(はなまち)が出来るようになり、現在の賑わいのもとになったと事です。

今の渋谷の賑わいは神の泉の恩恵だったんですね!

神泉橋の親柱
神泉橋の親柱
道は井の頭通りで通称、水道道路と呼ばれる


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