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塚山橋(つかやまばし)
神田川に架かる140の橋の28番目は塚山橋です。
塚山橋の外観
石橋でおもむきのあるスタイル
山橋は塚山公園脇にある重厚な石造りの橋です。
この橋を渡って右側一帯が丘陵になっており、そこに縄文時代の塚山遺跡が残っています。
この塚山橋を渡って公園に上る細い道を進むと、附近は武蔵野の面影を残した雑木林。
山橋の親柱。
貫禄のある親柱ですね~
階段を上っていくと広場があり、池のそばにはあずまやが建っていて、その斜め前方に縄文時代の住居の柱の跡を示した円形の砂場のような施設があります。
この辺りは縄文時代中期(約3500~4500円前)の環状集落の遺跡で、発掘品を展示した管理棟や、復元された当時の住居などがあります。
復元された住居は、武蔵野台地におけるこの時期に特徴的なもので、住居の床上の中央部やや奥まったところに石で囲った炉があり、住居の四隅がやや丸いことから「隅丸方形」型という形となっています。
この程度の大きさの住居であれば、親子3~4人で暮らせるそうです。ここ以外でも縄文時代の遺跡は、神田川沿いにいくつか見られますね。
縄文時代は狩猟採集を中心とした生活をしていたので、木の実や魚などが採集できるところに集落を形成していったんでしょう。
集落の多くは扇状地の先の扇端(せんたん)と呼ばれる湧き水が出てくるようなところに集落を形成したといわれ、考古学に詳しい人間が見るとどのあたりに縄文人の住居跡がありそうかは地形を見ただけですぐに分かるそうです。
きっと、武蔵野の雑木林などドングリ、山菜が取れる森と神田川という自然の恵みは縄文人にとって魅力的だったんでしょうね。
縄文時代から神田川は人の生活と密着していたのですね。
塚山遺跡
塚山遺跡は縄文時代中期(約[3500~4500年前)の集落跡で、昭和10年秋に江坂輝彌(えさかてるや)氏によって紹介されました。その後、昭和13年に明治大学の後藤守一氏によって、初めて本格的な発掘調査が行われ4軒の竪穴住居跡が発見されました。
昭和44年10月には江坂氏の指導のもと区教育委員会によって台地の東側斜面が調査され住居跡が1件発掘されました。また昭和48年秋には西東側斜面が調査され住居跡が20件発掘されました。これらの調査により塚山遺跡が縄文時代中期の環状集落であることがわかりました。
と案内板に書いてありました。
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