神田川に架かる140の橋 掃部橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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117-掃部橋(かもんばし)

撮影 04/07 10:58   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の117番目は掃部橋です。

工事掃部橋の概観
掃部橋の概観
掃部橋はなんと工事中です。


掃部橋(かもんばし)は古川橋の上流にある。昔ながらの商家や木造アパートと、この小さな鋼製桁橋は良く調和し、下町的な風情を添えている。

架橋年は定かではないが、昔この付近に、吉岡掃部という紺屋が住んでいたことからその名前があるということである。

この橋の近く、あるいは下流の石切橋付近とする説もあるが、早稲田方面から蟹川という流れが明治から大正頃まで流れていたらしい。

神田川南岸には早稲田田圃と通称された田園地帯が広がっていたが、その中を流れていたようである。

ちなみに掃部橋は難読橋名の一つである。

一読してこれを「かもんばし」と読める者も少ないと思われるので、ここで掃部(かもん)とはそもそも何のことだったかを調べてみることにした。

そもそも「掃部(かもん)」とは、律令制によって宮内省に属する令外官(りょうげのかん)の一つで、別名「かにもりのつかさ」と言い、宮中行事に際して設営を行ったり、殿中の清掃を行う仕事を行う官人のことであったらしい。

掃部という言葉は、現にその役職についている人だけではなく、祖先がその役職についていたことのある人も使うようになったことは、もともと皇宮の護衛を行う衛門府(えもんふ 左衛門府と右衛門府からなる)に勤める者を言う衛門が普通の名前に使われたのと同じである。

吉岡掃部の先祖は掃部だったのだろうか?

ちなみに幕末の大老であった彦根藩主井伊直弼は「掃部頭」という役職であった。

「かにものつかさ」の語源は、神話時代に「ひこなぎさのみこと」という神様が生まれたときに、浜辺の蟹を箒で掃いたという神話があり、その故事にちなむということである。

この近くに蟹川(かにかわ)が流れていたことは偶然なのであろうか?

掃部橋の通行止め案内
掃部橋の通行止め案内


工事中の掃部橋2
工事中の掃部橋2


工事中の掃部橋3
工事中の掃部橋3


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