神田川に架かる140の橋 清水川橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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100-清水川橋(しみずかわばし)

撮影 04/07 09:19   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の100番目は清水川橋です。

清水川橋の外観
清水川橋の外観


清水川(しみずがわ)は、北側の高台の下に見られた湧き水にちなむかつての字名であり、橋の名もそれに由来する。

現在の新目白通りの北あたりまで、かつは水田地帯が続く低地で、その向こうには目白台から続く下落合の高台が連なるといった風景だったようだ。

現在の街の様子からその当時を彷彿(ほうふつ)とさせるものは残っていないが、かすかに橋から北へ向かって新目白通りを越えると、高台に続く斜面の雑木林が残る「おとめ山公園」の緑が残されている。

「おとめ山」と聞いて「乙女」のことと考える人も多いかもしれないが、このあたりの高台が江戸時代に徳川将軍家の狩猟場となっていて、一般市民の立ち入りが禁止されていた「御留山(おとめやま)」であったことからこの名前が生じたと言われている。

明治以降には、高台の北を五摂家(ごせっけ 摂政や関白になることが出来る五つの公家の家柄)筆頭近衛家(このえけ)、南を相馬家(そうまけ)がそれぞれ買い取って、相馬家は一部を回遊式庭園「林泉園(りんせんえん)」として一般開放した。

この公園は後に荒地同然に放置されたが、昭和41年から「おとめ山公園」として開園して、住宅地の中で武蔵野の面影を残す貴重な緑を我々に提供してくれている。

「おとめ山公園」の西を登る坂は、「相馬坂(そうまざか)」という名前で、御留山南部を買い取った相馬家の屋敷に通じる坂であることから名づけられた。

相馬家が屋敷を建てたのは明治時代のことであるから、坂もその時代以降のものである。

清水川橋の親柱
清水川橋の親柱


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