神田川に架かる140の橋 隆慶橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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126-隆慶橋(りゅうけいばし)

撮影 04/07 11:34   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の126番目は隆慶橋です。

人専用の隆慶橋の外観
人専用の隆慶橋の外観
現在の隆慶橋は「人専用」と「車両専用」に区分されています。


大阪冬の陣、夏の陣も終わり、徳川の世も太平の世となった1600年代中庸、戦で立身出世して来た旗本階級の中には、安定した時代の中で自分の立身の道が無くなったことに、徒党を組んで悪さすることで憂さ晴らしするものが出てくるようになった。

所謂「旗本奴」である。旗本とは将軍の直属の家臣の中で、騎馬を許され、将軍に直接面会が出来る(お目通り)家柄の者である。

一方御家人は、将軍直属の家臣ではあるが、お目通りが出来ず、旗本と比較して禄高は低い家柄の者のことを指す。一般的に行って旗本は上流階級といえなくもないが、その彼らの中にも徒党を組む者がいたのである。

ちなみに、遠山の金さんで有名な遠山左衛門丞(さえもんのじょう)は、旗本遠山家の当主を継いだ実在の人物であったが、若い頃に博徒の仲間に入って刺青をしたといわれている。

刺青は「桜吹雪」ではなく「般若の生首」であったとう説もある。

旗本奴の棟梁「水野十郎左衛門」と対立した、今度は町人の愚連隊である「町奴」の親分で浅草花川戸に拠点を置いた「幡随院長兵衛」がトラブルをおこし、水野邸に呼ばれた後、湯殿でだまし討ちにあったという事件があった。

幡随院長兵衛、時に年来36歳。長兵衛はその後、権力者である旗本にたてついた町人のヒーローとして歌舞伎の世界でよく取り上げられている。

その長兵衛の遺体が水野家の中間(上級武士の家に住みこみで働く、下級武士)によって神田川に流されたのが隆慶橋付近であったという。

車両専用の隆慶橋の外観
車両専用の隆慶橋の外観


「車両専用」隆慶橋の親柱
「車両専用」隆慶橋の親柱


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