神田川に架かる140の橋 角田橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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058-角田橋(つのだばし)

撮影 03/24 15:36   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の58番目は角田橋です。

角田橋の外観
角田橋の外観


「角田橋」の東側には「多田神社(ただじんじゃ)」が鎮座する。

この神社の名前にちなんで、かつてこの界隈には「多田町(ただまち)」という地名があったそうである。

「後三年の役(1083〜87)に出陣した「源義家(みなもとのよしいえ)」は、この地で曽祖父にあたる源満仲(みなもとのよしなか)(多田満仲)の武勲を念じながら奥州に向かい、その凱旋の後、寛治6(1092)年にこの地に「満仲」を祀る祠を建立したのが、「多田神社」の始まり」とされる。

「多田神社」の西側から裏手に進むと、「宝福寺(ほうふくじ)」である。

かつての「多田神社」の「別当寺(べっとうでら)」である。「別当寺」とは、神仏習合が許されていた江戸時代以前に、神社に付随して置かれた寺のことである。

神前読経など神社の祭祀を仏式で行う者を「別当」、あるいは「社僧(しゃそう)」と呼んだことから、別当のいる寺を「別当寺」と言った。

「神宮寺(じんぐうじ)」「神護寺(じんごじ)」「宮寺(みやでら)」と呼ばれることもあるものである。

創建年代は明らかではなく、諸国巡遊中の聖徳太子がお堂を建立したのが始まりという伝説のあるお寺である。

隣の「神田橋」のところで、多田神社が運営する「神田」がその名前の由来かも知れないという仮設を紹介したが、「角田」というのも「神田」に関係あるのだろうか?

神田の一番端にあった田を「角田」と呼んだのであろうか?

この辺りの地名には「多田町」のほか、「雑色町(ぞうしきちょう)」の地名があったが、「雑色」とは「雑職」とも書き、もともと貴族などの貴人の雑用をする者のことを指すので、多田神社の雑色を意味したのかも知れない。

角田橋の親柱
角田橋の親柱
この表札の車の接触被害に耐えていますね。
がんばれ角田橋。
負けるな角田橋。


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