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古川橋(ふるかわばし)
神田川に架かる140の橋の118番目は古川橋です。
古川橋の外観
創架年代は不明であるが石切橋(いしきりばし)と同時期かそれより古い頃からある橋のようである。
江戸時代には将軍の鷹狩の際の通路となり、幕府管理の御入用橋だったという。
このあたりの神田川はその昔、古川(ふるかわ)と称した時期があり、橋の南詰側には昭和42年まで西古川町、東古川町の地名があって、その名残をとどめていた。
かつてはこのあたりに薪の粗朶(そだ)を商う者が多く住んだこととから粗朶町というという別名もあり、橋も粗朶橋(そだばし)とも呼ばれていたそうである。 ちなみに粗朶とは、直径数cmの細い木の枝を集めて束状にした資材のことで、暗渠材(あんきょざい・暗渠とは地下に埋設したり、ふたをかけたりした水路)や土留、水中に沈めてエビなどを誘い込む仕掛けの材料となったものである。
橋から北には巻石通りがあり、その先を小日向台地に上る坂がある。
服部坂という坂であるが、坂上左手の小日向神社あたりに、江戸時代には旗本服部権太夫の屋敷があったことにちなむという。
小日向神社が、今の場所に移転してくるのは明治2年のことであり、それ以前には小日向の鎮守として氷川神社と称して、巻石通り沿いの寺院街にあった日輪寺にその社地があった。
平将門(たいらのまさかど)の叔父にあたる常陸国の国司、平貞盛(たいらのさだもり)創建、太田道灌復興の歴史ある神社である。
古川橋の信号
親柱に橋名がなかったので信号の標識を証拠に撮影しました。
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