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堂ノ下橋(どうのしたばし)
神田川に架かる140の橋の27番目は堂ノ下橋です。
堂ノ下橋の外観
江戸時代の下高井戸村の一部が明治時代に堂ノ下に改名されていますから、
堂ノ下橋はその後架けられた橋なのかもしれませんね。
堂ノ下橋の手前では、川底に30センチほどの段差が設けられていて、滝のようになっているところがあり、そこは、鯉の姿も見られ、見ていて飽きない風情です。
「堂ノ下橋」の名前は、かつてこの橋の界隈にあった字名から来たもののようです。
橋の北側の高台には「堂ノ上」の字名もあり、神田川沿いに寺院か何かがあったのではないかと岩垣顕著「神田川遡上(かんだがわそじょう)」では推測しています。
堂ノ下橋の親柱
この橋から北に入ると、左手は「三井運動場」、右は「柏ノ宮園(かしのみやえん)」とも称した旧「興銀」の運動場が広がっています。
「柏ノ宮」の名前の由来は、室町時代に江戸城を開いた「太田道灌(おおたどうかん)」が「鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)」の別殿を「下高井戸(しもたかいど)」に建立するため「柏木左右衛門(かしわぎそうえもん)」に整備を依頼したことによると言われています。
江戸時代には「下高井戸八幡神社」は「柏木の宮」もしくは「柏の宮」と呼ばれ、大正時代に「横倉善兵衛(よこくらぜんべえ)」氏が整備して数奇屋を建て、「柏ノ宮園」と呼んで東京各地から文人墨客を招待して、歌会や観月会を行ったといいます。昭和初期には絵葉書にも紹介されるほど有名なところだったらしい。
「堂」はもしかすると「鶴岡八幡宮」の別殿に関係する何かのお堂だったのかも知れないですね。
周囲には雑木林が残っていますが、マンションの建設計画も進行中のようで、この辺りの風景も急速に様変わりすることになるのでしょう。
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