スポンサードリンク
本郷橋(ほんごうばし)
神田川に架かる140の橋の65番目は本郷橋です。
本郷橋の外観
本郷というのは、このあたり一帯の神田川沿いの古い地名のようである。
江戸時代から明治時代にかけては「本郷村」と呼ばれ、昭和42年までは、本郷橋の南側に本郷通三丁目の地名が存在した。川の南には本郷通りという通りがあり、近くに中野本郷小学校があるなど「本郷」の地名の名残は随所に散見できる。
「本郷」という地名は、一般的にある地域の中心集落を指すことが多いが、この場所も神田川の水利に恵まれた場所であり、「中野長者(なかのちょうじゃ)」伝説があるなど、古くからかなり開けた場所であったことが推測できる。
「大字本郷(おおあざ ほんごう)」は
- 「塔屋敷」
- 「根河原」
- 「鐘附面」
- 「小向」
- 「五反田」
- 「道玄」
- 「薬師堂」
- 「塩辛田」
- 「山ノ下」
の字から成り立っていたという。
「五反」は約0.5ヘクタール(約1500坪)だから、1500坪の田圃と、塔があるお屋敷、薬師様を祭るお堂、村のはずれの小山などがあったのだろう。
一つ下流の「柳橋(やなぎばし)」のところでの「塩辛田」での推理が正しければ、この村では砂鉄を採集し、砂鉄を取った後の廃砂を利用して畑も作られていたのだろう。
「中野長者」こと、「鈴木九郎(すずきくろう)」が出家して自宅を「成願寺(じょうがんじ)」としたが、そのときに諸堂、三層の塔を造営したことから、今でも「成願寺」内には「塔屋敷(とうやしき)」と呼ばれる場所があることも思い出す。
中野長者に関連のある村だったのであろうか?
本郷橋の親柱
ひゃー、ピンボケですね。
スポンサードリンク