神田川に架かる140の橋 白鳥橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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124-白鳥橋(しらとりばし)

撮影 04/07 11:22   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の124番目は白鳥橋です。

白鳥橋の外観
白鳥橋の外観
船が橋の向こうに見えます。


白鳥橋付近は、通称「大曲(おおまがり)」と呼ばれている。

昔から神田川が直角に近いカーブを描いて西へと大きく曲がる場所であったことから来ているのだろう。

白鳥橋という名前は、江戸時代の初期、このあたり一帯が白鳥池(しらとりいけ)という沼沢地であったことに由来する。

白鳥池は、明暦三年(1657)年の大火の後に埋め立てられて、周囲には町家や武家家がつくられたという。

ここから 「119-石切橋」 まで、約600mほどの両岸は、飛鳥山とともに米将軍として知られる徳川8代将軍吉宗(よしむね)が開発した桜の並木である。

小金井(こがねい)の桜に因んで、当時「新小金井(しんこがねい)」とも呼ばれたほどの名所であったらしい。

対岸の春日にある北野神社には源頼朝(みなもとのよりとも)が風待ちをして船をつないだという伝承があり、海へと続く大池であったことをうかがわせる。

橋から東に入って巻石通りを超えると江戸時代に存在した安藤飛騨守(あんどうひだのかみ)の屋敷にちなむ安藤坂(別名、安藤殿坂)がある。

この坂は江戸時代、江戸市中でも有数の急坂であると知られ、九段坂(くだんざか)との別称もあった。

更に、坂の下の神田川沿いの船宿で魚を取る網を干したりしたことから網干坂(あみほしざか)とも呼ばれたそうである。

名前の多い坂である。

白鳥橋近くの水道橋水路
白鳥橋近くの水道橋水路


白鳥橋近くの水道橋分水路の外観
白鳥橋近くの水道橋分水路の外観
水道橋分水路呑口(入口)は、
この124-白鳥橋 と123-新白鳥橋の間に位置します。
水道橋分水路吐口(出口)は、 127-船河原橋128-小石川橋の間。


白鳥橋の親柱
白鳥橋の親柱


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