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一休橋(いっきゅうばし)
神田川に架かる140の橋の114番目は一休橋です。
一休橋の外観
江戸川公園内とその対岸の街をつなぐ人道橋である。
安政年間に描かれた尾張屋清七版江戸切絵図「雑司が谷音羽絵図」の中に「関口橋」という名前の橋があり、この頃から「一休橋」という通称もあったということが書かれている。
「一休」というと頓知坊主の「一休さん」を思い浮かべる人もいるかと思うが、明治30年刊行の「新撰東京名所図会」によれば、橋の左岸の川沿いに御三卿の一つ一橋家の抱屋敷(大名は農民所有地を買い上げて自らの屋敷とした場所)があったことから、一橋を音読みして「いっきょうばし」、それが転じて「いっきゅうばし」となったということが書かれている。
江戸時代初期には、将軍家に跡継ぎがいない時には、水戸・尾張・紀州の御三家から養子を取ることが想定されていたが、8代将軍吉宗の時代以降、一橋・田安・清水の御三卿がおかれ、将軍家に跡継ぎがいない時には御三卿から選ぶようになった。
最後の将軍である第15代徳川慶喜は、一橋家から来たことはよく知られているところである。
江戸時代から続く地名には、このように当時の大名屋敷にちなんだものが多く見られる。一休橋の名はそのような名前の一つであると考えられる。
一休橋付近の亀
亀さんが日向ぼっこしています。かわいい!
一休橋付近の鯉
鯉が2匹泳いでいます。
そんなにきれいな川ではありませんが、神田川にもいろいろな生物が生息していますね。
一休橋のネームレート
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