神田川に架かる140の橋 末広橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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085-末広橋(すえひろばし)

撮影 03/31 13:16   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の85番目は末広橋です。

末広橋の外観
末広橋の外観


末広橋は大久保通りを渡す橋である。

橋の名前は定かではないが、現在暗渠(あんきょ)となっている「桃園川(ももぞのがわ)」が神田川と合流する付近の橋であり、二本の川が合流する姿から縁起の良い「末広(すえひろ)」の名前がついたのではないかと言っている人もいる。

桃園川は、杉並区天沼3丁目の天沼弁天社内にあった弁天池を水源として、杉並区・中野区内を東に流れた後、末広橋脇で神田川に注ぐ川であったらしい。

その後は、都心部での水需要と周辺の農業用水確保のために、用水路としての役割を果たしていたものの、周辺の宅地化とともに下水化して暗渠となったらしい。

名前の由来は、高円寺の境内に桃の木が多かったことから将軍家より「地名を桃園とするように」との沙汰があったことにちなむという。

確かに、橋から下流部側を覗き込むと、旧桃園川が合流する下水の出口が見える。

ここから徒歩数分で総武線大久保駅、山手線新大久保駅という立地ではあるが、大久保界隈のように韓国料理店や中華料理店が並ぶ異国情緒は、「末広橋」界隈にはなく、いくつかマンションがある以外には図書館その他があるという比較的静かな場所である。

末広橋の中野寄りの桃園川緑道に南こうせつのフォークソング「神田川」の歌碑がある。旧桃園川の暗渠は、橋の上流部から大久保通り南側に沿って西に向かい、現在桃園川緑道になっているのである。

暗渠となる前の桃園川には約50の橋が架かっていたそうで、遊歩道の中に様々なモニュメントとともに名前だけが残されている。

「宝仙橋(ほうせんばし)」「金渓橋(きんけいばし)」「三味線橋(しゃみせんばし)」など面白い名前が多く、こちらもいつか由来を調べてみたいと考えている。

「神田川」の歌詞は、早稲田界隈の学生向けの安アパートをモチーフにしたと思われる歌詞であるが、江戸時代から庶民の生活に密着していた神田川が、当時の学生の生活とも密着していたことを思わせる内容である。

ちなみに歌詞の中にある銭湯は西早稲田に本当に存在していたらしい。

末広橋の親柱
末広橋の親柱


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