神田川に架かる140の橋 小石川橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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128-小石川橋(こいしかわばし)

撮影 04/07 12:36   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の128番目は小石川橋です。

小石川橋の外観
小石川橋の外観
川面が鏡になってくっきり小石川橋が写っています。


小石川橋の名前の「小石川」というのは江戸時代からあった地名であり、「小石」が沢山ある川、即ち「小石川」が「伝通院(でんつういん、でんづういん)」の前を流れていたことからつけられた名前のようである。

残念ながら地名の由来となったこの「小石川」は現在は暗渠(あんきょ)となっている。

この界隈は、史跡が多く、中でも「小石川後楽園」と「伝通院」が有名である。

「小石川後楽園」は、東京都文京区後楽にある東京都の都立公園で、文化財保護法により、特別史跡及び特別名勝に指定されている。

水戸徳川家初代藩主である「徳川頼房(とくがわよりふさ)」が築いた庭園を、第二代の光圀(みつくに 水戸黄門で有名)が改修した7万平方メートル以上の広大な園内は、四季を通じて素晴らしい景色が楽しめる。

「後楽園」の名前は光圀が付けたものといわれ、中国の「岳陽楼記(がくようろうき)」にある「天下の憂に先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」という言葉にちなんで命名したと言われている。

「伝通院」は、徳川家の菩提寺(ぼだいじ)の一つであり東京都文京区小石川にあり、本尊は平安時代の僧侶である源信(げんしん)作とされる阿弥陀如来像である。

慶長7(1602)年に徳川家康の生母である「於大の方(おだいのかた)」がなくなると、紆余曲折はあるもののこの地に埋葬し、「於大の方」の法名である「伝通院殿」にちなんで、この寺の院号を「伝通院」としたのが、現在の「伝通院」の始まりである。 「増上寺(ぞうじょうじ)」に次いで徳川将軍家菩提所次席となり、「増上寺」・「上野寛永寺」と並んで「江戸の三霊山」と呼ばれた寺である。

境内には徳川氏ゆかりの女性や子どもが多く埋葬されている。

「小石川橋」の南詰はかつては江戸城の外郭門のひとつである「小石川門」があったところで、橋はそれゆえに「小石川門橋」とも呼ばれていた。

小石川橋近辺は江戸時代の香り溢れる地域である。

小石川橋付近の分水路
小石川橋付近の分水路


小石川橋の案内板
小石川橋の案内板


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