神田川に架かる140の橋 石切橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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119-石切橋(いしきりばし)

撮影 04/07 11:04   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の119番目は石切橋です。

石切橋の外観
石切橋の外観
橋の上の道は首都高・池袋線です。


こちらの橋も中之橋と同じく、歩道と車道の境界に小さな照明柱がならぶデザインであるが、塗り色がグレーである。

寛文年間(1661〜73)の架橋といわれ、このあたりの橋としては最も幅広い橋であったことから大橋とも呼ばれたようである。

石切とは石工のことで、このあたりに石工職人が多数住んだことにちなむ名前なのだろう。

橋の北詰東側に、うなぎ店の「はし本」があり、近くの西江戸川橋にあるうなぎ店「石ばし」(1908年創業で肝焼き三品が珍しい)と並ぶ名店であるが、「はし本」は江戸時代の1835年から続いているという。

玄関を入って左手に二階の座敷に通じる階段があり、右手にいくつかのテーブル席と小上がりの座敷がある。

江戸前の老舗のうなぎは、肉質がとろとろにとろけるような焼き方が多いが、ここのうなぎは香ばしく歯ごたえが楽しめる。

但し老舗のうなぎは注文が入ってから焼き始めるので注文してから30分から40分ぐらいの時間を覚悟した方がよいだろう。

いまでこそうなぎ屋でも浜名湖や台湾の養殖うなぎが当たり前であるが、東京に養殖うなぎが出回り始めたのはそれほど古い話ではないらしい。

明治以降、戦前までは江戸川河畔に並ぶ「うなぎ」問屋から、東京中に生きたうなぎが出荷されていたということである。

このあたりのうなぎ屋の看板には長く伸びた独特の「う」の看板が多いが、これは大正の初期頃からのことで、それまでは「江戸前大蒲焼」「江戸前御蒲焼」という看板が主流で、明治維新以降は単に「御かばやき」と書いていたらしい。

橋の南詰側は、新宿区水道町となっている。文京区側の水道の地名には、上水の管理に携わった人々が数多く住んだことに由来があるらしいが、新宿区側の水道の地名は、上水に近いということからこの名前になったものらしい。

石切橋の親柱
石切橋の親柱


石切橋の由来パネル
由来パネル


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