神田川に架かる140の橋 清水橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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014-清水橋(しみずばし)

撮影 03/24 12:39   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の14番目は清水橋です。

清水橋の外観
清水橋の外観


清水がつく地名のほとんどは、「湧き水」に由来すると言われています。

神田川沿いでは湧き水が出る場所が何箇所かあり、どんな時にも涸れることのない「貴船神社(きふねじんじゃ」)の「御手洗の小池(みたらいのこいけ)」が「和泉(いずみ)」の地名の由来となったことは、047-中井橋のところにご説明したとおりです。

おそらくこの橋の近くのどこかで清水が湧き出していたのでしょう。

015-月見橋から上流への流路は、井の頭線富士見ヶ丘見車区の南側に沿って北西に進みますが、ここにある検車区関係者専用と思われる無名橋の附近で歩道は行き止まりとなっていて、印刷局運動場裏手のがけが川沿いに迫っています。

竹やぶや桜並木なども見られ、実にのどかな風景です。

清水橋の親柱
清水橋の親柱。
神田川140橋でもっともシンプルな橋名札。
シンプルさ2番は012-都橋


日本の田園風景につき物の竹も、もともとは外来種だったらしいです。「古事記(こじき)」や「万葉集(まんようしゅう)」にも竹に関する記述があるが、これらの多くはチシマザサ類を指すもので、マダケは海外から持ち込まれたものという学説が有力らしいです。

マダケ類は8世紀ごろに日本に持ち込まれ、当時はおそらく貴族の間だけで栽培され、多分に儀式などに関連したものだろうという事です。

竹取物語でも求婚者がすべて貴族であるのも、このことに関連するらしいです。

一般に広く竹が栽培されるようになったのは16世紀以降のこととされていて、竹は根が発達して地震でも地割れなどが起こらないことから、竹林は防災の意味でつくられるようになったという事です。

一般に竹林は、平地と里山の境界線あたりに作られることが多いですね。

このような場所は、湧き水が出ることが多いので、矢張り「清水」が湧き出していた場所があると考えたいですね。

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