神田川に架かる140の橋 西江戸川橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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120-西江戸川橋(にしえどがわばし)

撮影 04/07 11:09   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の120番目は西江戸川橋です。

西江戸川橋の外観
西江戸川橋の外観


隣の小桜橋(こざくらばし)と同様ピンク色でしかも全体のデザインも同じであるため外見では区別しづらい橋である。

名前の由来は、橋の北詰側にあたる神田川北側一帯に、昭和39年まで西江戸川町の町名があったことにちなむ。

橋の北詰から北に進むと、明治41年創業のうなぎ家「石ばし」の看板が見える。

江戸後期から明治にかけて、この界隈には多数のうなぎ家が軒を連ねていたことで知られている。

明治期以降は、神田川のこの付近では紙の原料である「楮(こうぞ)」をさらす光景が見られたと言われ、紙産業の発展が著しく、現在も中之橋のトッパン小石川ビル、小桜橋南詰にある取次ぎ大手のトーハンのビル、その他太洋社、大阪屋ほか、印刷、製本に関係する会社や工場が数多く見られるのも街の特徴である。

楮は、「紙麻(かみそ)」の言葉の音便から「こうぞ」という言葉が生まれたという説があるほど、古来より使われてきた和紙の代表的な原料であり、その繊維は麻に次いで互いに絡み合う性質が強く、よく練ることで丈夫な紙を作ることが出来る。

麻紙と比較して美しさは劣るといわれてきたものの、丈夫であるため長期間保管することが必要な公文書や経典などに使われ、現在も奉書紙(ほうしょがみ)等のほか和傘、障子、襖の原料となっている。

江戸時代からの紙産業の伝統は和紙主流の時代から洋紙主流の時代になっても西江戸川橋界隈に残っているということができるだろう。

西江戸川橋の親柱
西江戸川橋の親柱


西江戸川橋の由来
西江戸川橋の由来


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