神田川に架かる140の橋 お茶の水橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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撮影 04/07 13:18   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の131番目はお茶の水橋です。

お茶の水橋の外観1
お茶の水橋の外観1


駅の名前は「御茶ノ水」と全て漢字で表記されるが、橋の名前と地名は「お茶の水」と書かれるようである。

現在のお茶の水橋は、ラーメン橋+ゲルバー桁(鋼)であるが、明治24(1891)年に架けられた当時のお茶の水橋は、建築家の原竜太(はらりゅうた)設計による上路プラットトラス方式の橋であったようである。

お茶の水橋の外観2
お茶の水橋の外観2


お茶の水の地名の由来に関しては、慶長の昔、近くの神田山(かんだやま)の麓に高林寺(こうりんじ)という禅寺があり、寺の庭より良い水が湧き出したので、徳川二代将軍秀忠公に献上したところ、お茶に用いられ、大変良い水であるとのお褒めの言葉をもらい、それから舞地にこの水を差し上げたことから、お茶の水高林寺と呼ばれるようになり、界隈もまたお茶の水と呼ばれるようになったという言い伝えがお茶の水交番脇にある石碑に書かれている。

橋の名もその言われにちなむものであろう。この界隈を流れる神田川流域は、幕府の命により仙台藩主伊達政宗(だてまさむね)が補修にあたり、そのため仙台堀(せんだいぼり)と呼ばれる。

お茶の水橋の親柱
お茶の水橋の親柱
痛んでいますが、それが風格を醸し出している様ないないような


中国の山水画に登場する絶景「赤壁(せきへき)」にも似た眺めを称えて、いつしか漢学者を中心としてめい渓もしくは小赤壁(しょうせきへき)と呼ばれるようになり、数多くの文人墨客に愛された名所となったという。

お茶の水橋近くの碑
お茶の水橋近くの碑


橋の前後は、神田川仙台堀の中でも最も深いところのようであり、もともとは橋がなかったところのようであるが、江戸時代には武家地と寺社地、明治時代以降は住宅地・商業地として発展し、架橋の必要が生じたことからかけられた橋である。

この界隈の神田川の両岸には、小赤壁の風情を伝えるように多くの楓(カエデ)が植えられている。

お茶の水橋の由来石
お茶の水橋の由来石


ラーメン橋(ラーメンきょう)

上部構造と下部構造とが一体化した橋のことです。ラーメンとはドイツ語で「枠」の意味だそうです。

一般にラーメン構造とは、組まれた骨組み(部材)の各接合箇所を剛接合(接合部が変形しない/例えば溶接)したもののことです。

ラーメン構造の反対がトラス構造で、部材の節点をピン接合(自由に回転する支点)したもののことです。


従いまして、熱烈な食品ラーメンファンのことではありません(^^)

ゲルバー桁(ゲルバーけた)

橋桁(はしげた)の支え方の形式で、径間(けいかん/橋の長さ)を延ばすために連続橋の中にヒンジ(蝶番:ちょうばん/ちょうつがい)を挿入した形式の橋です。

ドイツ人のハインリッヒ・ゲルバーさんが考案したことからゲルバー桁を呼ばれています。

地盤の弱い場所や長い橋に採用されることが多いそうですね。

言葉では判りにくいので図解致します。

凡例
 □ → 橋桁
 ■ → 支柱
 ◎ → ヒンジ

単純桁:一つの橋桁が2点の支点で支えられている。
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連続桁:一つの橋桁が3点以上の支点で支えられている。
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ゲルバー桁:橋桁の途中にヒンジがある連続桁。
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上路プラットトラス方式


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