神田川に架かる140の橋 一本橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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049-一本橋(いっぽんばし)

撮影 03/24 15:02   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の49番目は一本橋です。

一本橋の外観
一本橋の外観


一本橋という名前は、なんとなく丸木橋を想像させる名前ですが、全国の橋の名前で「一本橋」・「一ツ橋」という名前があった場合には、その多くがもともと欄干を持たない丸木橋や石の一本橋があった場所だそうです。

東京都内の「一ツ橋」も、「徳川家康」が江戸城に入城する際に、一本の丸木を渡して橋に使ったという故事から来ているということらしいです。

この一本橋から東側の高台を登ると、「弘法大師高野寺 文殊院」と刻まれた石柱があります。
さらに南に少し進んだ「和泉仲通り」の商店街角にも「高野山 弘法大師 四国八十八箇所札打留」と刻まれた石柱があります。

これは「弘法大師」像を本尊とする「文殊院(もんじゅいん)」への目印とのことです。

文殊院は、慶長5(1600)年に駿府(すんぷ 現在の静岡県)に創建され、寛永4(1627)年の江戸浅草への移転の後、元禄9(1693)年から白金台(しろがねだい)町(現在の東京都港区)に移って、この地には大正9年の区画整備の時期に移転したということです。

文殊院の境内には立派なヒマラヤ杉があり、これも白金台の旧地から移された木ということで、「神田川遡上(かんだがわそじょう)」では、この一本杉が「一本橋」の由来かもしれないという推理がなされています。

江戸時代頃には今のように欄干のついた立派な橋は少なく、ほとんどの橋は、丸木橋か石の一本橋だったというから、ここの橋がその時代からあった橋であったならば、もともとは一本橋だったのかも知れませんね。

一本橋はいつから架かっている橋なんだろうか?

一本橋の親柱
一本橋の親柱


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