神田川に架かる140の橋 水道橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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130-水道橋(すいどうばし)

撮影 04/07 12:53   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の130番目は水道橋です。

水道橋の外観
水道橋の外観


白山通りの一部なので交通量は極めて多く、橋の幅も三十メートルを超える広さである。

欄干(らんかん)のデザインは水の流れをモチーフとしているようである。

水道橋の名前の由来は、江戸時代に作られた神田上水の架桶(水路橋)に由来する。

この架桶は本郷と猿楽町の間に架けられていたもので、現在の水道橋よりも下流に存在したらしい。

かつては吉祥寺橋(きちじょうじばし)と呼ばれていた時期があったが、これは、現在文京区本駒込にある吉祥寺が、天正19(1591)から明暦の大火(1657年)で燃えるまでの間、水道橋北詰にある現在の都立工芸高校のある一帯にあったことによるらしい。

現在の橋は昭和36年架橋の橋で、北詰欄干には、「江戸名所図会」の「お茶の水」の図を彫った銅版が埋め込まれている。

橋の北詰からはお茶の水分水路の入口が見えるが、その真上の外堀通りの歩道は、現在親水公園のようなたたずまいになっている。

江戸時代には水道橋から上流にかけての神田川北側を市兵衛河岸と呼んで、物資の荷揚場とされていた流れであろうか、現在も簡素な防災船着場が存在する。

北詰から白山通りを北に向かうと、慶安年間(1648〜52)に由井正雪(ゆい しょうせつ/まさゆき)とともに幕府転覆を図った浪人丸橋忠弥(まるはしちゅうや)の道場があったことから名づけられた忠弥坂、その手前にある宝生能楽堂、讃岐高松藩松平氏の屋敷地跡に建つ金比羅宮東京分院があります。

南詰西側を少し行くと江戸時代に三代将軍家光の崇敬を受けて、参勤交代の諸大名に江戸参府の行きかえりに必ず参詣させたという三崎稲荷神社(現在は旅行の神様として有名)等の史跡が数多く存在している。

水道橋記念プレート
水道橋記念プレート


水道橋の親柱・漢字
水道橋の親柱・漢字


水道橋の親柱・ひらがな
水道橋の親柱・ひらがな


お茶の水分水路呑口
お茶の水分水路呑口
水道橋とお茶の水お茶の水橋の間にある、お茶の水分水路呑口(入口)です。
お茶の水分水路吐口(出口)は133-昌平橋と134-万世橋の間にあります。


お茶の水分水路の記念石
お茶の水分水路の記念石


神田上水懸樋(かけひ)跡
神田上水懸樋(かけひ)跡の外観


神田上水懸樋(かけひ)跡
神田上水懸樋(かけひ)跡の文字


江戸時代、神田川に木製の樋(とい)を架け、神田上水の水を通し、神田、日本橋方面に給水していました。
明治三十四年(1901)まで、江戸・東京市民に飲み水を供給し続け、日本最古の都市水道として、大きな役割を果たしました。
この樋(とい)は、懸樋(架樋)と呼ばれ、この辺りに架けられていました。
この絵は、江戸時に描かれたもので、この辺りののどかな風情が感じられます
平成八年三月
東京都
文京区


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