東京・神田川 橋の写真集



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あづま橋(あづまばし)

撮影 03/24 13:08  -BACK-   -NEXT-

 

神田川に架かる140の橋の21番目はあづま橋です。

 

あづま橋(あづまばし)

あづま橋の外観。

撮影後気づいたのですが、橋下の川べりに鳥(鳩?)が10数羽いますよ。

画像を拡大してしてみてご覧下さい。

 

あづま橋は高井戸駅前にある橋です。

 

あづま橋は「あづま」であって「あずま」ではありません。つまり、「あずま」だとすると「東」ですが、「あづま」ですから「吾妻」なんでか?

 

もっともこの「あずま」と「あづま」は昔は混用されていたらしいです。

 

ところで、「江戸」という地名が最初に書物に登場するのが鎌倉時代に書かれた「吾妻鏡(あづまかがみ)」です。

 

ちなみに「江戸」の名前は、川が海に流れこむ場所ということから来たという説もあれば、関東平氏の一門である江戸氏(えどし)に由来するという説もあります。

 

 

 

あづま橋(あづまばし)

あづま橋の親柱。

名札だけが交換されたような痕跡があります。

 

「吾妻鏡」は鎌倉時代を研究する上での基本史料で、大学入試問題でも何度も引用される有名な書物で、別名を「東鑑」とも言います。「鑑」は「かがみ」という訓を当てることがあるから、「吾妻(あづま)」が「東(あずま)」と書かれて別名となったのしょう。

 

この橋につけられた「あづま」はどちらの意味なのでしょうか?

 

「高井戸(たかいど)」は「高い堂」という言葉に由来するとも言われます。

 

「高い堂」とは、「高井山本覚院(たかいさんほんかくいん)」という寺が明治初期に廃寺となったのに伴って、近くの「叡昌山宗源寺(えいしょうざんそうげんじ)」境内に移転した「不動堂(ふどうどう)」のことであるといわれています。

 

もっとも、現在建物が色々建てられ、このお堂も余り目立たなくなっていますが・・・・。

 

現在は杉並清掃工場の排気塔がここ「あづま橋」から見え、さしずめ現在の「高い堂」となっています(笑)

 

 

吾妻鏡

 

鎌倉時代に書かれた歴史書で、鎌倉幕府の家臣が編纂した、52巻(巻45欠)の書き物。治承4年(1180)源頼政の挙兵から、文永3年(1266)までの87年間を変体漢文の日記体で書かれています。

 

 

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