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和田見橋(わだみばし)
神田川に架かる140の橋の61番目は和田見橋です。
和田見橋の外観
川が真っ直ぐですね
富士山が見える 「062-富士見橋」 の1つ上流が和田見橋なので、「和田」が見えるかというとそうではない。
橋の名前の由来は杉並区和田と中野区富士見町にまたがって架かる橋ということであるらしい。
なお、中野区富士見町は現在は在りません。
杉並区側の和田の地名は古くからある由緒ある名前で、江戸時代から明治22年頃までは和田村(わだむら)と称していたらしい。
鎌倉時代に幕府の重臣であり「侍所(さむらいどころ)」の別当(べっとう 最高責任者)であった和田義盛(わだよしもり)の居館があったことにちなむという説があるが、定かではない。
もしかすると本当に「和田が見えた」かもしれない場所ではある。
この橋から中野区側に歩くと「れんげ公園」という小さな公園があり、そこに「本郷堰の址」の説明板がある。
遺構は残っていないようであるが、江戸時代から昭和初期まで、この辺りに神田川の水を引き入れる堰があって、水田を潤す用水堀(ようすいぼり)が続いていたと言われている。
鎌倉時代の典型的な武士の館の近くには田地があって、「家の子(いえのこ)」「郎党(ろうとう)」と呼ばれていた家臣たちが仕えており、下級の武士は戦がないときには農耕を行っていたという記録があるから、もしかしたら和田家の家臣たちが作った田畑がこの辺りにあったのかも知れない
和田見橋のネームプレート
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