神田川に架かる140の橋 柏橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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086-柏橋(かしわばし)

撮影 03/31 13:20   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の86番目は柏橋です。

柏橋の外観
柏橋の外観


新宿・中野のかけての住宅街の中にある橋で、その名に併せて欄干の飾りが「柏の葉」になっている。

新宿側の現町名は「北新宿」という味気ない名前になってしまっているが、以前は「柏木」であった。

「柏木」という旧地名は「柏木小中学校」などに残っているが、JR総武線東中野駅も昔は「柏木駅」という名前である。

明治38年に作られた地図によれば、ほぼこの地点付近にすでに小さな橋があり、その橋の北には何かの工場があったようである。

柏木の地名の由来には諸説あるが、平安時代末期に柏木右衛門佐頼季(かしわぎうえもんのすけよりすえ)という人物が、平田忠常の乱を鎮圧して、その功績を認められて従五位武蔵権守(じゅごいむさしごんのかみ)に任ぜられるとともに、この土地を与えられ円照寺付近に居を構えたことから柏木の地名が起こったという説が伝えられている。

現在も円照寺の境内には「伝説 柏木右衛門桜ゆかりの地」の碑が立ち、柏木右衛門が植えたとされる桜の名木「右衛門桜(うえもんざくら)」に接木を繰り返したといわれる何代目かの右衛門桜の若木を見ることが出来る。

円照寺に隣接する淀橋第四小学校の裏手には、平氏の伝承を今に伝える鎧神社(よろいじんじゃ)があり、承平・天慶(しょうへいてんぎょう)年間(931から47年)の乱で、平将門・将頼兄弟が陣を敷いた場所と伝えられ、初夏の暑い日に鎧をはずして休んでいる隙に藤原氏の奇襲を受けて、将頼は鎧を着ける暇もなく武州川越方面まで落ちて戦死したとされる。

それ以降この地で疫病がはやり、それをたたりと恐れて社を祭り、平将門を討った藤原秀郷(ふじわらひでさと)が将門の鎧を納めたということである。

新宿副都心から歩いてすぐのこの地は、新宿の喧騒を離れた静かな住宅地であるが、古い歴史をひっそりと今に伝えている。

柏橋の親柱
柏橋の親柱


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