スポンサードリンク
田島橋(たじまばし)
神田川に架かる140の橋の99番目は田島橋です。
田島橋の外観
金子直徳(かねこなおのり)が寛政年間に著した「和佳場の小図絵(わかばのこずえ)」によれば、
「御公儀普請にて板ばし成しを、寛政三年より四年の春までに土橋になし給う。 昔、安藤対馬守さまの鼠山御屋敷より大久保原の辺に野屋敷という御遊地ありて、狩場を有した時、たじまの守さまの通路に懸給ふ故、今にその名を成也」
とあり、但馬守(たじまのかみ)が狩にいくときの通路につくったので田島橋となったという来歴が書かれている。
この橋の向こうは高田馬場駅です。
田島橋の親柱
とっても立派ですね。
田島橋から上流の落合の土地にかけては、江戸時代に「落合蛍(おちあいぼたる)」の名所とし手有名であった。
江戸時代後半に活躍した太田南畝(おおたなんぽ)は
「大江戸には王子のふもと石神井川又谷中の蛍沢に多くありといへども、此処のにくらぶれば及びかたかるべし。」
と記しており、江戸時代には石神井川や谷中の蛍沢も蛍の名所で有名であったが、田島橋付近が蛍で特にすばらしいという評判だったようである。
蛍の仲間は、陸上で幼虫時代から成虫時代の全てをすごすオバボタルの仲間と、幼虫が水中で生活するゲンジボタルやヘイケボタルなどいくつかの種類が存在するが、古来めでられてきた蛍は川で幼虫時代を過ごすゲンジボタルとヘイケボタルである。
陸上性の蛍は単独で活動することが多く、例外的に乱舞するヒメボタルは森の奥深くで発生するため人目に触れることが少なかったことから、乱舞する姿が人目に触れやすい川で幼虫時代をすごす蛍が干渉の対象となったのであろう。
こうした蛍の幼虫はきれいな川にすむカワニナなどの巻貝類を食べて育ち、卵を産むのは川岸の草地であり、さなぎになるのは川岸の土の中である。
人工的にコンクリートで覆われた川岸が多くなったことや、河川の富栄養化でカワニナが住めなくなったこと、薬の散布などが原因となり、このような蛍の名所は日本各地で消えつつある。
田島橋のあたりも蛍が大量に発生したことから、土の川岸に草の生えた巻貝のすむきれいな水だったに違いない。
スポンサードリンク