神田川に架かる140の橋 高戸橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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106-高戸橋(たかとばし)

撮影 04/07 09:54   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の106番目は高戸橋です。

高戸橋の外観
高戸橋の外観


高戸橋は明治通りを渡す橋である。

橋の名前は、高田と戸塚の双方の頭文字をとったものとされている。

「高田(たかた)」とは、文字通り高台にある水田地帯を指し、文京区・豊島区・新宿区が接する神田川両岸一帯に古くから見られる地名である。

一方、「戸塚(とづか)」は、「富塚」とも書き、神田川南側から「戸山(とやま)」、「大久保(おおくぼ)」方面にかけての地名で、明治22年、旧来の「戸塚村(とづかむら)」、「下戸塚村(しもとづかむら)」、「源兵衛村(げんべえむら)」、「諏訪村(すわむら)」が合併して「戸塚村」が成立したようだ。

戸塚の地名の由来には諸説があるが、現在の早稲田大学構内にある「水稲荷神社(みずいなりじんじゃ)旧地」にあった、「富塚」と呼ばれた小円墳にちなむという説が一般的である。

この塚は古墳時代後期のものといわれ、「江戸名所図会」や「江戸砂子」では、この塚に狐が住んでいたことから「狐塚」と呼ばれていたとあり、それが転じて「富塚」「戸塚」となったという説が紹介されている。

「稲荷神社」の中にあった塚に「狐」が居るというのは、出来すぎた話なので、これはもしかしたら「江戸名所図会」と「江戸砂子」の脚色なのかも知れない。

古墳と言えば、「仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)」や「応神天皇陵(おうじんてんのうりょう)」のような巨大な「前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)」がすぐに浮かぶかも知れないが、古墳時代の末期には、地方の有力な一族が、一族の墓として小規模な円墳を作るのようになるのである。

水田があったくらいの場所であるから、この地に古墳時代に力をもった地主階級のお墓だったのかも知れない。

高戸橋の親柱
高戸橋の親柱
「たかど」ではなく「たかと」と発音して下さい。


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