神田川に架かる140の橋 月見橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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015-月見橋(つきみばし)

撮影 03/24 12:51   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の15番目は月見橋です。

月見橋の外観
月見橋の外観。
神田川で一番、月見に適した橋?


月見橋の名前から思い浮かべるのは月見。

会社に勤めても春のお花見を楽しむ機会は結構ありますが、都会で特に一人暮らしの人は月見を楽しむ事は少ないかも知れませんね。

そう言えば私も月見らしい月見をここ数年していないような気がします。

そこでせっかくなので昔からの伝統的なお月見とはどんなものなのかを調べてみることにしました。

そもそも月見とは、旧暦の8月15日の中秋の名月をめでるお祝いですが、古来からこの旧暦8月(新暦の9月頃)は、空気が乾燥して月が鮮やかに見え、更に夜もそれほど寒くないために月を見るためには最も良い時期とされてきたことによるようです。

月が見える場所に祭壇を作ってススキを飾り、月見団子・サトイモ・枝豆・栗などを盛って、お酒を添えて月を眺める形式は、中国の唐の時代に日本に伝わった貴族の風習が日本風にアレンジされたもので、中国では「月餅(げつぺい)」をお供えしたものが、日本では月見団子に変わったようです。

月見橋の親柱
月見橋の親柱。
008-みすぎ橋と形が同じ月見橋の親柱。


しかし「サトイモ」を供えるというのはいかにも日本オリジナルで、江戸時代に書かれた「本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)」にも、「8月15日夜の月見には必ずサトイモを煮て食べる」とあります。

更に満月に備える団子に関しては、同じく江戸時代に書かれた「守貞漫稿(もりさだまんこう)」によれば、「丸ではなく、小芋に似せて作るのが慣わし」と書かれています。

月見の主役は、どうやらサトイモのようですね。

ニューギニアなどでは、今でも秋の満月に、タロイモ(サトイモと同じ仲間)を食べる行事が続いていますが、縄文時代にサトイモととも渡来した月見文化が、中国伝来の月見と合体したのが現在の月見かも知れませんね。

守貞漫稿(もりさだまんこう)

江戸後期の風俗誌で全34巻。喜田川守貞が最初に表し、嘉永6年(1853)に成立。その後も加筆されています。 京坂・江戸の風俗を図解して考証したものです。近世風俗研究に重要な資料で、明治41年(1908)に「類聚近世風俗志」の名で刊行もされました。

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