神田川に架かる140の橋 小桜橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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121-小桜橋(こざくらばし)

撮影 04/07 11:11   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の121番目は小桜橋です。

小桜橋の外観
小桜橋の外観
桜の色と合わせたピンク色の橋?


歩道と車道の境界に小さな照明柱が並ぶデザインは中之橋と同じであるが、こちらは塗色がピンク色である。

橋名の由来は定かではないが、花見の名所とされた神田川の桜並木にちなむものなのだろう。

橋の北詰から真っ直ぐ北に向かう商店街は小桜商店街、突き当たりが巻石通りとなるが、そこから更に北に進むと地下鉄丸の内線小石川検車区脇から、茗荷谷方面へと続いている。

地下鉄車庫の下を抜けると「切支丹坂(きりしたんざか)」という曰くありげな坂に出会う。

坂は江戸時代に切支丹宣教師や信者を収容した宗門改役(しゅうもんあらためやく)井上政重(いのうえまさしげ)の通称切支丹屋敷があったことにちなむ名前で、現在の坂上南側一帯がその跡地ということである。

この坂下あたりに獄門橋(ごくもんばし)と呼ばれた橋があり、三人の盗賊が晒し首に処された場所であった。

切支丹坂下から南へ歩くと、荒木坂を下って再び巻石通りとなる。

荒木坂は、江戸時代中期頃まで、坂上に荒木志摩守(しまのかみ)の屋敷地があったことにちなむという。

荒木坂下から巻石通りを西に進むと寺院街である。

その中にある日輪寺には、境内入ってすぐの左手に老婆の姿の地蔵像がある。

明治時代のこと、門前の甘酒売りの老婆が、持病の咳をこじらせ「死後咳の神となり、同病者を救わん」と言い残して亡くなったことにちなむ。

いつしか地蔵は甘酒婆地蔵と呼ばれるようになり、咳に苦しむ人々が願掛けに甘酒を供えていくようになったという。

歴史と伝説がぎっしりと詰まった界隈である。

小桜橋の親柱
小桜橋の親柱


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