神田川に架かる140の橋 新白鳥橋

神田川写真集。東京・神田川に架かる井の頭池から隅田川(大川)までの神田川140の橋。
神田川の探索を通して、神田川歴史や江戸歴史をご紹介いたします。

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123-新白鳥橋(しんしらとりばし)

撮影 04/07 11:16   -BACK-   -NEXT-

神田川に架かる140の橋の123番目は新白鳥橋です。

新白鳥橋の外観
新白鳥橋の外観
自動車専用の鉄橋。人の歩行は禁止です。
だから、人でも走ったらいいらしい(嘘です!)


新白鳥橋は、 「115-江戸川橋」 から後楽園方面に抜ける一方通行の自動車専用の鉄橋である。

昭和40年代に白鳥橋・目白通りの混雑緩和の目的で使われているサブ・ブリッジで(補助橋)、白鳥橋のすぐ横を川筋に対して斜めに架かり、飯田橋方面に通じている。

この橋のすぐ北側には、 「124-白鳥橋」 のところで説明した「白鳥沼(しらとりぬま)」が江戸初期まで存在し、神田川は一旦ここまで流れ込んでいたという。

白鳥沼の東には小石川の台地から流れてきたり、湧いてきた水を集めた小石川沼(こいしかわぬま)が現在の後楽園の辺まで広がっていたらしい。

この二つは元来は一つの大きな湖であったと考えられており、小石川と神田川の双方から中立地点に体積土砂が積もって、区分されて二つの池になったというのである。

神田川の洪水は、当時この沼から水が溢れ出るかたちで発生していた。

徳川家康は、初期には小石川沼から上水を確保していたが、江戸の発展に伴い沼の水量が減り、水死も悪化したことから、上流の関口から水を取るようになった。

小石川沼をこうして重要性が低下したことから埋め立てられて、水戸藩江戸屋敷である後楽園などに転用されたそうである。

神田川は後に、この辺りで大きく南に曲がった形になり、そのため大曲(おおまがり)という地名が生じた。

大雨などで川の水位が上昇した時には、昔は、この辺りで洪水が頻繁に起こっていたということである。

新白鳥橋の親柱
新白鳥橋の親柱
分厚く、頑丈そう
まさに親柱!!


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